せみの鳴く日
今年初めて自宅の窓からツクツク法師が聞こえたのは、八月半ば、もうお盆も過ぎた一八日ころのことだった。あまりの猛暑で出遅れたのか例年より少し遅いようだが、毎年この声を聞くと夏の終盤という気がしてなんとなく寂しくなる。子供のころは「あぁ、宿題やらなきゃ!」という警報の声にも聞こえた。
それにしてもなぜ男の子はあんなに蝉採りが好きだったんだろう――と、過去形で書いたのは、最近蝉採りしている子供をほとんど見かけなくなったからなのだが――筆者が子供のころは夏休みのあいだ中蝉を採っていたような気がする。中野にもいっぱいいて、それこそ佃煮にするほど採った。
蝉の鳴き声をやれと言われればほとんどの人は「ミーンミーンミーン」というだろう(西川のりおは「ツクツクボーシ!」だけど)。だが世の中に大量にはびこっているのはアブラ蝉だ*1。あの「ジー」というか「ジュワー」という鳴き声は暑さを倍増させ、聞いていてイライラする。あの鳴き声が揚げ物をするときの音に似ているからアブラ蝉と名づけられた、というのも肯ける。そして子供たちの間では採ってもあまり価値の無い蝉だった。なにしろそこら中にいる。さらにあいつら意外とドン臭くてすぐに捕まる。虫かごの中はジージーいうアブラ蝉ばかりで、繁盛している天ぷら屋状態。
お盆のころから鳴き始めるツクツク法師は警戒心が強いのか、鳴いている木の下から見上げるだけで気配を察知して逃げてしまう。そのとき鳴き声のテンポが段々早くなって行くので、こちらも気持ちが焦っていく。こいつを捕まえられればたいしたもんだった。
そして激レアなのがミンミン蝉。中野にはほとんどいなかった。鳴き声もめったに聞かなかったように記憶している。むしろ新宿御苑などの都心部でよく鳴いていたと思う。小学生のとき、親と行った銀座で大量のミーンミーンという鳴き声を聞いて(なんで虫採り網をもってこなかったんだ)と悔やんだこともあった*2。それでもあるとき一度だけ家の近所でミンミン蝉を捕まえたことがあって、そのときは本当に誇らしい気持ちになった。
大人たちからは「そんなに採ってどうするんだ、かわいそうじゃないか」とたしなめられたが、そんなこと言われたって目の前に蝉がいりゃ採っちゃうのが子供だ。意味なんかありゃしない。でも自分が大人になったらその言い分が理解できた。七年も土の中にいて、地上では一週間しか生きられないし、その短い間にパートナーをみつけて子供を作らなきゃならない。そんなせわしなくも切ない蝉の恋愛の邪魔をするなよ、と言いたかったのだろう。大人になって何年経ってもロクな恋愛ができない現在の筆者からすれば、ひと夏の恋を短くも熱く燃やす蝉がうらやましいよ。
芭蕉だけじゃなく、ディランも蝉について歌っている
ボブ・ディランに『新しい夜明け(NEW MORNING)』というアルバムがある。一九七〇年の作品だ。名作にして大作*3の『ブロンド・オン・ブロンド』(六六年)発表後バイク事故によってしばしの沈黙を余儀なくされたディランは、六七年の復活以降は以前ほど声高に聴衆に語りかけることはなく、カントリー丸出しの不思議なアルバムを作ったりしていたのだが、この作品で久しぶりに元気なところをみせた。もっとも、まだヨレヨレしている感じで七四年以降のザ・バンドとのライブツアーまで完全復活という言葉は使えないのだが……という世間の評価はともかく、A面一曲目の「イフ・ナット・フォー・ユー」があるだけで大好きなアルバムだ。そしてその次の二曲目に収録されているのが「せみの鳴く日(Day Of Locusts)」。蝉(コオロギのようにも聞こえるが)の鳴き声のSEからディラン自身が弾くたどたどしいピアノとともに歌が始まるナンバーである。
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ゲートの外じゃトラックが荷降ろしをしている
天気はメチャメチャ暑くて九〇度(華氏)もあるぜ
隣に立ってたおっさんなんかアタマ爆発してたよ
その破片がオレの上に降ってこなきゃいいけど
なんていう一節もあって、ディランにしては比喩や皮肉のあまり利いていない直接的な歌詞が並ぶ。よっぽど暑くて退屈だったのだね。
しかし授賞式会場の外では蝉がスイートなメロディを奏でている。
アメリカには有名な一七年蝉とか一三年蝉というのがいて、一定周期ごとに大量発生*4して夏の間うるさくてかなわないという。そして今年(二〇〇七年)、シカゴではその年に当たり大騒ぎ! というニュースを見た。きっと七〇年当時のプリンストン大学周辺もその周期に当たったのだろう。
ちなみに二〇〇四年にもディランはスコットランドの大学から学位を授与されているが、そのときの授与式でも大あくびをしていたらしい。嫌ならもらわなきゃいいのに(笑)。
ディランがスイート・メロディと感じた蝉の鳴き声がアブラ蝉タイプだとは思えないが、独特の美意識を持つ人だから、そのへんはよくわからない。芭蕉が詠んだ山寺の蝉はなんだったっけ*5。凡人たる筆者はこの時期になると夕方の井の頭公園に鳴り響く蜩の「カナカナカナカナ」という声のシャワーを浴びて夏の終わりをかみしめたりするのです。