土管

空き地の土管

 子供のころには近所に原っぱというか空き地がたくさんあった。通っていた小学校の裏にもかなり大きな空き地があって、下校直後の遊び場としては最適の場所だった。一度家に帰ってランドセルを置いてからでないと遊びに行ってはいけなかったのだが、もちろんそんな面倒なことはしない。裏口の校門を出るなり直行だった。
 かなり広い空き地だったので野球などもできたが、あまり球技をした記憶はない。低学年のころはなにをしていたんだろう……鬼ごっこやかくれんぼなんていう定番の遊びもしたのだろうけど、鮮明に覚えているのは土管遊びだ。あのころの空き地には土管(コンクリートなどで作られた下水管)が無造作に転がっていた。長さは二〜三メートルくらいだったか。直径は五〇センチメートル程度から、太いのは一メートル以上のものまでいろいろあった。
 一メートル以上のやつは中に入って遊べる。あのころの子供たちの一番のお気に入りは「秘密基地ごっこ」。中に入れる土管は格好の基地となる。土管の円い壁に背中を這わせ、脚を上に突っ張ったりして家から持ち込んだマンガや本などを読んでいた。さらに段ボール箱や木のみかん箱などを持ち込んで机にしたり、意味もなく拾った棒っ切れやコンクリートブロックなどを持ち込んでしきいを作ったりしていた。コンクリートのひんやりとした感触は気持ちよく、夏場はちょうどいい逃げ場所だったし、雨つゆもしのげるから、多少ジメジメしても居心地のよい所だったのだ。もっとも薄暗い中で本を読んだおかげで視力は相当悪くなったが。

 たまには先客もいた。雨つゆがしのげるということは当然他の人にとっても快適(?)な居場所になるわけで、ホームレス(当時はそんな言葉もあるわけはなく、単に乞食と呼んでいたが)のおっさんがいることがたまにある。小学校二〜三年生くらいのガキにとって乞食のおっさんは非常に怖い存在だったから、そんなときは土管遊びはあきらめて素直に家に帰ったものだ。

おそ松くんよりドラえもんの支持率が高い?

 当時筆者の愛読書はなんといっても「おそ松くん」。いま読み返すと、六つ子やチビ太たちが駆け回る空き地には必ずといっていいほど土管が描かれていることに気づく。六つ子にいじめられたチビ太が土管の中に閉じ込められたり、逆に六つ子のひとりのトド松を土管の中に入れて転がすというチビ太の逆襲に使われたりと小道具としても重要な役割を占めている。そう、あのころの空き地を思い出すと自然と土管が転がっている風景が目に浮かぶのだ。もっとも、筆者より十歳ほど若い世代にとって「空き地の土管」というと、圧倒的に「ドラえもん」を思い浮かべるらしいのだが……。

 さて、それではいま改めて土管のある風景を探すと、これがまったくといっていいほど見当たらない。そもそも空き地がない。空いている土地は家が建つかコインパーキングになってしまっている。小学校裏の空き地も現在は団地になってしまった。そして、たとえ空き地があっても土管など置いていない。確かにあの丸くて巨大なコンクリートのかたまりは、転がりだしたら危険この上ない。子供が遊んでいて下敷きになったら大変だ。自分が子供だったころのことを思い出してみても、よくぞ無事だったと思う。いま土管は工事関係の資材置き場で集中管理されているようだ。
 でもいまは土管がころがっている空き地の風景が無性に懐かしい。もう一度冷たい土管の壁に背中をもたれさせて、せんべいをかじりながらマンガを読みたいのだ。

使用機材


CANON AE-1 PROGRAM / CANON FD20mm F2.8 / KONICA MINOLTA PAN 100
 真っ黒なカメラが続いたので、白いカメラにも登場願おう。1970年代半ばに一世を風靡したAE-1。「連射一眼」のキャッチコピーを覚えている人もいるだろう。空前の大ヒットとなったAE-1の後継機がこのAE-1 PROGRAM。AE-1はシャッター速度優先AEが搭載されていたが、これはさらにプログラムAEが追加された。しかしはっきりいって使いにくい。プログラムAE時のファインダー内には絞り値しか表示されないので、少し暗い場面などでは不安なのだ。筆者はほとんどマニュアルでしか使わないが、それだったら針で合わせる露出計のほうが使いやすい。新宿・カメラのきむらで1万円くらいだった。時代を代表する銘機(の後継機)ということで購入したが、最近出番はあまりない(笑)。
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