八百屋のダミ声


 八百屋の声はなぜあんなにダミ声なのだろう。子供のころそれが不思議だった。そりゃ毎日毎日大きな声を張り上げて「いらっしゃいらっしゃいらっしゃい!」とか「お買い得お買い得お買い得!」などと連呼していれば、声もかれるだろう。しかしなぜかあのドスの効いた声は魚屋でも肉屋でもなく八百屋だけのものだったように思う。
 高円寺北口の商店街は、我が家のメインの買い物コースだった。母親にくっついて家をでて、一度駅のあたりまで行き高架下の東急ストアをのぞいたりもするが、個人商店で買うことのほうが多かった。南口の西友ストアまで行くのはかなり遠出という感じだ。
 北口を出てすぐ左にいくとごちゃごちゃとした細い道がある。キャバクラとかピンサロなどの風俗系の店が飲食店の間に点在しているが、三五年前もそうだった。だから母親はその道を行くときは足早だったと思う。そして、そこをややいってから右に折れると、大きな八百屋があった。かなり広い間口いっぱいに野菜や果物を並べ、いつも客が群がっていたし、店員もたくさんいた。「奥さん買ってよ買ってよ買ってよ!」とか「はい大根大根大根!」なんていう掛け声が飛び交っていて凄い活気だった。夕方四時から五時にかけては戦場みたいで、代金は天井からゴムでつるしたザルに無造作に投げ込んでいた。
 先日高円寺の街を散歩したら、その八百屋の場所から少し離れたところに、同様の八百屋があった。記憶があいまいなので確かなことはいえないが、以前よりちょっとだけ駅から離れたところに位置しているように思う。経営者が一緒かどうか、そういうことはさっぱりわからないが、やはり活気にあふれていて混雑していた。ゴムでつるしたザルもあった。

散歩していて楽しい商店街

 あのころ、野菜の値段ってどれくらいだったのだろう? まったく覚えていないが、現在の相場から考えてもそんなに高いことはないはず。大根一本三〇円とかキュウリ三本で二〇円とか、そんなもんじゃなかっただろうか(全然根拠はないが)。やはり薄利多売で大量に売っていかないとやっていけない商売だと思う。スケールメリットの大きい大規模店舗が幅を利かせていくのも無理はない。
 しかし個人商店の元気がいい商店街というのは歩いていて楽しい。水がじゃぶじゃぶ流れている魚屋の店先、コロッケやとんかつの油の匂いに惹かれる肉屋、ガラスのケースいっぱいに広がるおでん種の店、大福やおはぎや串に刺した団子が並ぶ和菓子屋、ちょっと気取ったケーキ屋……特に買うものがなくてもぶらぶらしたくなる。しかし高円寺の商店街はまだその活気をキープしているようだが、調布はまったくダメだ。まず魚屋がない。魚はスーパーマーケットで買うしかない。個人経営の魚屋もパルコの地下食料品売り場内に入ってしまった。魚屋の路面店がないのだ。同様に肉屋も少なくなってきている。

 そんな中、八百屋はまだ元気がいいようだ。パルコ内とはいえ、一階の旧甲州街道に面したところにある八百屋は昔ながらのいかにも「八百屋」っていう雰囲気を残している。先日紹介した角川大映撮影所のまん前にも大きな八百屋がある。クルマを乗り付けて買いに来る客がたくさんいて違法駐車に迷惑するくらい繁盛している。しかしどこの八百屋も昔ほど大声を張り上げていないような気がするのだ。威勢よく売り声をあげてはいるが、あの独特の塩辛いダミ声は影を潜めたように思う。
 筆者が以前住んでいた下北沢の南口、京王井の頭線のガードのすぐそばの四つ角に大きな八百屋があった。そこのおばちゃんもおっちゃんも夕方の混雑時には大声で「はい、ご利用ご利用ご利用!」とわめいていた。他所からくる客が多い下北沢でもあそこは完全に地元密着の店だったと思う。ところが残念ながら昨年店を閉めてしまった。特に利用したことはなかったが、シャッターに閉店を知らせるポスターが貼ってあるのを見たときには、もうあの声が聞けなくなるのかと、少し寂しい気持ちになった。

使用機材

PENTAX MX / smcPentax 40mm F2.8 / KONICA MINOLTA PAN100
CANON New F-1 / SIGMA 14mm F3.5 / KONICA MINOLTA PAN 100
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