大映と日活

角川大映撮影所

 かつて調布は映画の街として名を馳せていた。市立富士見台小学校のすぐ近所には大映撮影所、市立第三中学校のそばには日活撮影所があった。ちなみにどちらも筆者の母校である。
「あった」と過去形で書いたが、ふたつの撮影所は現在も存在している。しかし大映撮影所は敷地の半分が都立調布南高校になり、日活撮影所も敷地のほとんどがライオンズマンションになってしまった。広大な面積を誇っていた時代の最後を知る身としては、ずいぶんとちっちゃくなっちゃったなぁ、という印象なのだ。
 大映撮影所は二〇〇二年に角川大映撮影所となった。正門前には大魔神がまるで阿吽の仁王様のように二体立っている。元々は一九三三年、日活多摩川撮影所としてスタートし、その後映画会社の統合などの紆余曲折を経て大映の撮影所となり、戦後の映画全盛期には数多くの作品が撮られた由緒ある撮影所。最近では『Shall we ダンス?』(周防正行監督・一九九六年)などが撮影された。また『妖怪大戦争』などの特撮モノも多く撮られている。
 小学校のすぐ近所だった、というより登下校の途中にあったので大映撮影所のことはよく覚えている。今の調布南高校のところにはカマボコ型のスタジオが並んでいた。しかし当時大映は倒産して宙ぶらりんの状態だったので、京王線に沿った敷地は荒れ放題。壁も崩れていたのでよく中に入って遊んだものだ。特撮用(おそらく『ガメラ』シリーズ)の小さな池には、いかにも怪獣がひそんでいそうな小島が浮かんでいたし、瓦礫の中には二メートルくらいあるゼロ戦の模型の残骸も転がっていて、悪ガキたちにとって、なんともたまらん場所だったのだ。ときどき管理のおっさんに見つかって怒鳴られたりもしたけど。

近所にビバリーヒルズはないけれど東洋のハリウッドだった 

 一方日活撮影所は、戦後、興行専門となっていた日活が映画制作再開のため一九五四年に開設した。この撮影所は調布三中への通学路に面していた。ここの強烈な印象といえば大火事である。確か中二のころだったと思うが、風の強い日に火がでて、オープンセット(ほとんど木製)がペロっと燃えてしまったのだ。その日、かなり離れた調布駅のあたりで黒煙を見た記憶があるからかなりヤバかったはずだが、類焼はせずきれいに撮影所だけを焼いてしまい、その後あっという間に巨大なマンションが建ってしまった。なんとなくクサいが筆者には真相を知るすべもない。焼ける前は敷地内に銀座の街並みが再現されていて壁越しに森永の球形広告塔などが見えた。ここで日活アクション映画の数々が撮られていたのだ。
 その後、規模を縮小した日活撮影所の脇を自転車で通ると高い壁際にトラックが二、三台停まっていて、運転席の屋根の上におっさんたちが乗って中をのぞいている風景に出くわしたことがある。そのとき少年高畠はピンときた。あれは間違いなくロマンポルノの撮影だ。一緒になって見物したかったけどそれは無理というもので、そのまま通り過ぎたが、あのおっさんたちは追い払われなかったのだろうか。 
 結局、日活も「にっかつ」になったり「ロッポニカ」とかいう変な名前になったりしたけど映画の斜陽化には勝てず、現在撮影所は主にテレビやCM撮影用のスタジオとして稼動しているという。それは角川大映撮影所も同じこと。 
 京王相模原線京王多摩川駅にほど近い場所、マンションや住宅の真っ只中の小さな公園に一九八六年「映画俳優之碑」というものが建てられた。そこには森繁久弥長谷川一夫田中絹代三船敏郎石原裕次郎勝新太郎高倉健吉永小百合などの名前が刻まれており「東洋のハリウッド」(少々大袈裟という気もするが)と謳われたかつての栄光が垣間見える。(参考URL=http://www.csa.gr.jp/csaeiga.htmhttp://www.lib.city.chofu.tokyo.jp/machi/lib_eiga.htm

使用機材

CANON New F-1 / SIGMA 14mm F3.5 / CANON FD35mm F2 / KONICA MINOLTA PAN 100

1980年代のキヤノンのフラッグシップ(最高級)モデル。筆者が某社で雑誌編集者として働いていたころ、グラビア系=女性メインのカメラマンの大半はこのカメラを使っていたという記憶がある。男を撮る人はニコンが多かった。当時高嶺の花だったが、現在の中古価格でもそれなりに高い。程度が良いものは10万円を超えるものも。これはヤフオクでボディだけ1万円+αで購入。その後ファインダーやスクリーンなどを継ぎ足していって、合計3万円程。ワインダーもつけると結構でかくて重いので散歩の供には適さないが、このシグマの14mmという強烈なレンズを使いたかったので、久しぶりに持ち出してみた。
人気blogランキングへ