妙正寺川

寿橋より上流を望む

 現在四〇代、特に後半の人ならその昔、青島幸男東京都知事がテレビで「いじわるばあさん」を演じていたのを覚えているだろう。調べてみると一九六七年九月〜六九年九月と七〇年一〇月〜七一年八月に日本テレビ系で放映されている。六〇年代の方は放送期間中に青島幸男参議院に立候補したため途中で交代しているが、七〇年代の放送では最後まで演ったようだ。
 で、なぜ「いじわるばあさん」かというと……。
 筆者が通っていた大和小学校の裏には妙正寺川という小さな川が流れていた。川幅は二〜三メートルくらいで、土手のこっちとむこうの幅も五〜六メートル程度だったと思う。この川が「いじわるばあさん」のロケに使われていたのだ。確か番組オープニングのテーマソングのバックだったと思うが、青島演じるばあさんが、意地悪が過ぎて大勢の人に追いかけられ、物干し竿を棒高跳びの棒のようにしてこの川を飛び越えて逃げるというシーンがあった。その場所が本当に学校のすぐ裏で、テレビを見た翌日「ここだここだ」と友人と確認しにいったものだ。思い出の中の画面はモノクロだから、おそらく六〇年代の放送分だったはず……あれ、我が家にカラーテレビが導入されたのはいつだっけ? それを確認しないと確かなことはいえないが、劇中のギャグ(後述)から考えても六〇年代だと思うのだが……。
 当時大和小学校の周囲ではいろんなロケが行なわれていたような記憶がある。後に調布に引っ越したら、我が家のまん前で山口百恵三浦友和の「赤いシリーズ」の撮影が行なわれたことがあったが、それは元々調布は映画の街で、大映や日活の撮影所が近所にあったということで納得できる。しかしなぜ中野区でロケをよく見かけたのかわからない。大和小学校の下級生に当時マヨネーズのCMに出演していた子役の男の子がいたが、それは関係ないと思う。本当にロケが多かったのかどうかもあいまいになってきた。

護岸が進み安全な河川へと変わりつつある

 とにかく妙正寺川は杉並区にある妙正寺公園内の池が源で、くねくねと杉並や中野の住宅街を抜けて、落合で神田川と合流する一級河川。落合という地名は川が落ち合うところからつけられたそうだ。そのまんまですね。ガキの頃の筆者はこの川沿いをさかのぼって公園の池までザリガニを採りにいったりしたが、川そのもので遊んだ記憶はない。きちんと護岸されておらず、雑草がしげった川岸まで降りていくことは可能だったはずだが、汚くて臭くて魚なんていそうもない川だったのだ。台風がくるとあふれ出す危険な川でもあった。
 それがどうです、この変わり様。両岸はコンクリで固めてあり、橋にはカエルのレリーフが彫られていてなんとなくおしゃれ。川岸の幅も広がって、これじゃいじわるばあさんだって飛び越えられまい(もっとも、昔の飛び越えるシーンも特撮というか合成だったような気もするけど)。
 先に触れた「いじわるばあさん」劇中のギャグとは、いじわるばあさんに無理難題をふっかけられた人物が「でもぉ……」と悩むとばあさんは「デモもゲバもないよっ!」と怒る。するとヘルメットをかぶって角材を持った五人ぐらいの学生風が「アンポ反対!」などと騒ぎながら二人の前を通過。ばあさんが「あら、あったわねぇ」と驚く、というモノ。ま、そんな時代だったのです。その青島幸男ももういない。きっと天国で植木等と一緒にベンチでゴロ寝しているのだろう。

いじわるばあさん (1) (朝日文庫)

いじわるばあさん (1) (朝日文庫)

使用機材

OLYMPUS OM-1n / COSINA 24mm F2.8 Y2Filter / OLYMPUS 50mm F1.8 / Kodak 400TX

前回登場のMXからライバル視されていたと思われるのがこのOM-1だ。1972年に発売されたときはM-1というネーミングだったがMシリーズを生産していたライカからクレームがきて急遽「O」をつけたというエピソードは有名。とにかく軽くて小さい。シャッター音も「ペショッ」という感じで、あまり一眼レフという感じのしないカメラだが、マクロ撮影という得意分野を持ち、熱狂的なファンを生んだという。しかし今の時代はその小型という特長を生かしてお散歩カメラとして活用したい。これは1979年に小改良が施されたタイプ(型番の後にnがつく)。カメラのきむら新宿店で2万円前後だった。
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