鬼太郎の受難
二〇〇七年五月二五日の朝日、毎日、あるいはスポーツ紙等に、調布市にあるゲゲゲの鬼太郎や妖怪たちの像が盗難、破壊の憂き目にあっているという記事が載った。以下毎日新聞より引用。
漫画家、水木しげるさん(85)の作品の人気キャラクターで、東京都調布市の京王線調布駅北口の天神通りにある「ゲゲゲの鬼太郎」の石こう像が盗まれていたことが分かった。地元の商店会は「誰がこんなひどいことをしたのか。像は商店街のシンボルで、早く元の場所に戻してほしい」と憤っている。【金田健】
調布市に水木さんが在住していることから、市では鬼太郎をマスコットに使った街おこしを進めている。石こう像は96年、地元の天神通り商店会が同市や都の補助を受け、約1100万円かけて制作。200メートルほどの通りに、鬼太郎やねずみ男、猫娘、子泣き爺(じじい)の像が置かれている。
同商店会が盗難や破損に気付いたのは先月下旬。高さ約50センチほどの鬼太郎の像が台座から引きちぎられるようになくなっていた。子泣き爺の像も頭が棒のようなもので割られて大きなひびが入り、穴も開いていた。5年ほど前にも像の一部がもぎとられるいたずらがあったが、像の盗難は初めてという。
同商店会は、警察に相談したが、犯人は見つかっていない。通りの近くには水木さんのプロダクションもあり、「水木先生も商店街を通った折に嘆いていたと聞いた。私もこれほどがっかりしたことはない」と商店会の役員の男性は怒りをあらわにする。
水木さんの出身地、鳥取県境港市でも「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の像が盗難に遭う被害があった。
毎日新聞 2007年5月25日 東京夕刊
一九九六年当時、筆者は調布に住んでいなかったので像設置のニュースなど知らず、初めて見たときには、いつの間にこんなものが出来たのだろうとちょっと驚いた。でもまぁかわいらしい(?)し、個性に乏しい調布の街にこういうものがあるのもおもしろいなぁとも思った*1。
しかし今年の四月、天神通りを散歩していたら、子なき爺像の頭部が見るも無残にカチ割られているのを見た。さらにその後、鬼太郎像を根本からむしりとっていっちゃったヤツまで現われたわけだ*2。
調布はド田舎だった
『劇画近藤勇』(ちくま文庫版)のあとがきによれば、調布に水木しげるが引っ越してきたのは五九年(昭和三四年)。理由は「偶然」というのがいかにも水木しげるらしい。
五九年ということは約五〇年前。そのころの調布駅周辺は、今からは考えもつかないほどのド田舎だった。調布駅の南口は現在再開発が急ピッチで進められ、駅舎を地下に沈めて踏み切りをなくす工事が盛大に行なわれているが、当時は旧第一小学校が移転してその跡地に公民館*3ができたばかり*4。そして駅から離れればすぐに畑や田んぼが広がり、そのまま多摩川へと連なっていく。なにしろ大正から昭和初期には別荘地だったところなのだ。
また古くから開けていた北口でさえも、駅前の商店街を抜ければ田畑以外なにもない。昭和三〇年撮影の写真を見ると、敷設されたばかりの国道二〇号線の両側には建物がほとんどなく、広大な畑地の奥にうっそうと木が繁る布多天神があるのみだ。その田畑を抜けてさらに北へ進めば、古刹・深大寺に至る*5。
水木しげるにとって、妖怪と戯れるには最適な環境だったのだろう。引っ越して以来、ずっとこの地に住居と仕事場を定めている*6。
妖怪は本当にいるんだぜっ!
子供のころ、筆者の家はテレビの視聴に関しては両親が厳しく、アニメや特撮などあまり見せてもらえなかった。手塚治虫モノはOKだったが、それ以外はうるさくいわれたものだ。しかし「ウルトラセブン」や「ゲゲゲの鬼太郎」を見ていないと学校で仲間はずれにされる。必死の交渉の末、いくつかの番組を勝ち取った。水木作品でいえば「ゲゲゲ」も見たが実写版の「悪魔くん」(NET・現テレビ朝日)が最高におもしろかった。もっともこれは夕方に見ていた記憶があるから、本放送時(六六〜六七年)ではなく再放送だったと思う。エロイムエッサイムという呪文や、メフィストが言うことを聞かないときに吹くソロモンの笛*7などは今でもはっきり覚えている。
妖怪や悪魔、あるいは円谷特撮の怪獣などに心ときめいたのはなぜなのだろう。友だちと「怪獣はいないけど妖怪は本当にいるんだぜっ!」「妖怪はいないけど悪魔はいるよ!」なんていう会話を真剣に交わしたものだ。「両方ともいるわけないじゃん」なんていう醒めたガキもいたが……。怖いものや醜悪なものを求めてしまう子供心は、大人になって合理主義という名の手かせ足かせで縛られてしまった心では理解できなくなった。
それでもノスタルジーは残る。どことなく愛敬のある水木妖怪たちは今でも子供に人気で、アニメや映画で何度もリメイクされているが、その原動力には制作者側の郷愁も大いに寄与しているだろう。
筆者の友人に妖怪の大ファンで自ら猫娘と称する二〇代半ばの女性がいる。彼女が出合った鬼太郎はいつの時代のものなのだろか。今年のゴールデンウイークに公開された映画、ウェンツ版『ゲゲゲの鬼太郎』を見に行こうと誘ったが、断られてしまった(笑)。
ちなみに「ゲゲゲの鬼太郎」は六五年に少年マガジンに掲載された「墓場の鬼太郎」が六七年から連載作品となり一気に人気を博すようなったが、その原型は五九年(昭和三四年)ごろに定まったという。まさに水木しげるが引っ越した時期であり、やはり調布は鬼太郎のふるさとなのだ*8。誰だか知らないが、もう壊すなよ!(文中敬称略)
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使用機材
ASAHI PENTAX SV / Super Takumar 35mm f3.5 / NEOPAN 400 PRESTO
銀座に Antiquaryというバーがある。店内にはオールドカメラが並び、その手のファンが集う店だ。今年の初め、あるカメラマンに連れて行ってもらったのだが、初対面でいきなりマスターがドンっと2台のカメラを筆者の前に置いて「修理するなら差し上げますよ」と言った。ペンタックスSV(1962年発売)が2台、もちろんどちらも故障している。ビックリしたがありがたく頂戴して、家でバラしてみれば、ひとつはミラーボックスの不調、もうひとつはシャッター幕がちょん切れていた。そこで例によって早速ニコイチ手術を施して無事直った。とはいえ当初は1/1000のシャッタースピードが出ておらず、底フタを空けて調整。ネガレベルならなんとか撮影可能になったのだ。つまりタダです、このカメラ(笑)。またレンズも新宿のアルプス堂ジャンクBOX内でほこりまみれになっていた2000円というのを救い出して磨きたおして使用可能な状態にした。暗いけどいい写りしてます(写真のボディにはヤシカのレンズが装着してある)。ちなみに先日の新宿のスナップもこのボディとレンズで撮りました。
*2:その後七月初旬に鬼太郎の像は無事復活したが、なぜか子なき爺はまだである(七月十九日現在)
*3:現在ジョナサンになっているあたり
*4:校庭だったところは噴水広場や児童公園になったが、上記の工事のために二年ほど前に噴水は取り壊されて資材置き場になってしまった
*5:現在も布多天神や深大寺には、昼なお暗い林が残り、新宿から特急で十五分の場所とは思えないほど
*6:アシスタントとして水木プロに通っていたつげ義春もついには調布に住み、『無能の人』など調布を舞台とした作品を多く描いている
*7:見た目はただのオカリナだった
*8:さらにトリビア。あの有名な主題曲は泉谷しげるや木村充輝も歌っているが、初代は滝口順平(「ぶらり途中下車の旅」ナレーター、あるいはどくろべぇ様)だった。先日カラオケで歌ったとき知った