シーラさんのこと

 今日、大阪出張→京都飲酒でフラフラになりながら家にたどり着き、あまりの睡魔に耐えられず、夕方から寝てしまった。それでも20時頃、今度は腹が減って目が覚める。まったく欲望だけで生きている男だね、オレは。
 すると携帯がピコピコ光ってメールの到着を告げていた。なんじゃらほいと開けてみたらソウルバー仲間からで、シーラさんが亡くなったという知らせだった。


 新宿百人町の「バックビート」というソウルバーに初めて行ったのは10年位前のことだ。その後もちょくちょく顔を出していたのだが、あるときマスターが替わってちょっと年取った人になった。それがシーラさんだった。
 シーラさんは新宿2丁目で“伝説”と言われた「ワイワイ」「サード」といった店のマスターを歴任。その後故郷の北海道でしばらく他の仕事についていたが、数年前(6〜7年前?)に「バックビート」のマスターとして新宿に返り咲いた。オレはそこからのお付き合い。
 とにかく選曲が素晴らしい人だった。ほろ酔い気分でカウンターに座って数杯飲み、そろそろ終電だから帰ろうかと腰を上げかけるそのジャストなタイミングで、必殺の曲を繰り出してくる。当然帰れない。で、朝までグダグダと飲むはめになる。それがなんとも心地よかったのだ。オレはいつもシーラさんのかける曲でホエホエになっていた。
 あるとき深夜に一人でふらりと行くと、イスを寄せて店内で寝ていたことがあったが、あたふたと片付けて迎えてくれた。また、やはり深夜3時頃に行ったら、店内は静かでシーラさんはAMのラジオにかじりついていたこともあった。いつものようにFEN(今はAFNって言うのか)を聴いているのかと思ったら、NHKの「ラジオ深夜便」だった。「今日これから広田三枝子と森山加代子の特集があるのよ」ということで、ふたりして「人形の家」や「じんじろげ」を朝まで聞いたこともあった。
 とても心優しい人だった……。


 昨年倒れて入院したという話を聞いて、一度はお見舞いに行かなきゃと思っていたのだが、忙しさにまぎれて果たせずにいた。そして、今日訃報に接し、後悔にくれている。
 オレの付き合いなどまだまだ浅いもので、もっともっと深くシーラさんを知る人はたくさんいる。だからオレの感慨など薄っぺらなものでしかないだろう。でも、シーラさんにホエホエにしてもらった思い出はいまでもしっかり心に焼き付いている。
 心からご冥福をお祈りします。

シーラさんを「マスター」と表現することに違和感を覚える方もおられるかもしれませんが、他に良い言い回しが思いつかなかったので「マスター」で失礼しました。